2015/01/18(Sun)00:07
1月17日。
今朝、目が覚めて時計を見ると、5時50分だった。
実は去年もそうだった。
布団の中で、手を合わせる。
20年前の今日、私は突然の衝撃に飛び起きた。
浅間山荘事件のように、大きな鉄球がぶつかったのか?
「ドッキリ」仕掛けられた?素人やで~?
何が起きたかわからなかった。
一瞬、シンとした。
ベッドから転げ落ちる。
下に隠れようとしたが、
衣装ケースを詰めていたので、
蹴っても蹴ってももぐれなかった。
体が縦横に揺れて、じっとしていられない。
壁の土壁が降る。
ガラスの割れる音。
木のきしむ音。
そして再度シンとした。
「よし!となりの部屋のコタツの中に行こう!」
ほふく前進する。
長く激しく続いた揺れが、収まった。
外はまだ暗い。
さて、どうしたものかと思っていたら、外から人の声、複数。
地震の時は外に出ない方がいいと聞いたことがあるが、
ひとりじっとしてても仕方ないので出てみよう。
メガネが見当たらない。
コート着なきゃ。
階段を降りる。でも足元が変。
とにかく外に出ると、ざわつく人、放心して歩く人。
そうした人に靴を渡す。寒いだろうと布団を渡す。コートを渡した。
夜が明けてきて、やっと状況が見えてきた。
向かいの5階建てマンションの1階がなかった。
傾いたそのマンションでは救出作業。
うちは2階を建て増しした2階部分を間借りしていて、
1階に大家さん老夫婦がお住まいだったのだけど、
1階が南に30度くらいぐんと傾き、
その上に2階がちょこんと乗っていた。
玄関が歪んで扉が外に開いていたから、私は難なく外に出れた。
複数倒れた家具の隙間で、大家さんたちは無事。
変形している階段を足元確かめながら上がると、
食器や本が散乱、ベッドの上にラジカセと大きな鏡。
そのまま寝てたら頭に直撃だった。
20年前のその時、私は神戸の東灘に住んでいた。
震災当日の出来事より、
震災を通じて経験した多くのこと、考え感じたことが
今の私をつくっている、かなりそう思う。
といいつつ、今回は当日の状況を書いているだけ(笑)。
機会があれば、肝心な「その後」は、また。
21年目も粛々と始まっている。
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